妊娠した?ほのかな期待と不安を抱え、病院へ。
結婚して丸3年。
なかなか授からなかったので、相談に行ったこともある病院。
そして、先生の第一声は
「妊娠していますね。でも・・・2つ見えるんだよねぇ」。
テレビで良くある
『おめでとうございます』
という言葉がなかったのと、
『2つ・・・』
という言葉が頭の中をぐるぐる駆け巡り・・・。
こちらもテレビのように
『ありがとうございます』
とウキウキ気分では言えなかった。
「もしかしたら消えるかもしれないので、また2週間後来てみて下さい。母子手帳はその後にしましょう」
急に不安だけが支配した。
『消える』???
先生は私の不安を察知して
「よくあるんですよ。2つあっても一緒になって1つになっちゃうって。
あなたは身体も小さいし、たぶん1つになると思いますよ」
ちょっと、気持ちが楽になった。
そして、夫へは
「妊娠していたよ!でも、卵が2つ見えるんだって。でも、多分くっついちゃうから平気だって」
と伝えた。
夫も「そんなことがあるんだ」とビックリしていた。
*バニシングツイン=双胎が何らかの理由で消え、単胎になること。
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それから、2週間。ドキドキしながら病院へ。
その間、仕事は通常、いや年度末とあって、かなり忙しく、午前様という日も続いた。
妊娠のことは、母子手帳を手に入れてから、上司に話すつもりだった。
「うーん。2つ見えますね」
その後の先生の説明は、ほとんど飛んでいた。たしか多胎についてのリスク等が話されたのだと思うが。
別室に移り、助産師と話をする。ここでも多胎のリスクについて話された。
この時点では、だいぶ落ち着いていて、話をしっかり聞くことができた。
市役所に行って母子手帳を手に入れる。2冊だ!!
市民課で手に入れるので、とても事務的だった。
母子手帳申請の欄に、不安なことはありますかというようなことが書いてあった。
もちろん、「すごく不安」と書いたように思う。
夫や両親達に「双子を妊娠した」と言ったら、大喜びだった。
夫は「妊娠が分かる前、実は双子の父になった夢を見た」と打ちあけてくれた。
勤め先にも妊娠を報告し、安静にしていた方がいいといわれたことも話し、しばらくは在宅勤務ということになった。
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つわりはひどかった。いわゆる食べづわり。
朝起きて、気持ち悪くて起きられない。
しばらくベットでグタグタして、ようやく起きて、一口大のおにぎりを口に入れる。それで気持ち悪さは和らいだ。
枕元には、パンやおにぎりを置いて寝た。
妊婦検診を終えた2週間後、夜寝られない位、お腹がギューとなる。
心配になって、病院へ行ったら、そのまま入院になった。14週のことである。
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切迫流産。
この言葉が、グルグル頭を駆け巡った。
泣きながら夫に電話し、入院の準備。
病院から3分の我が家だったためDr.から一時帰宅が許された。
慌てたのは夫だった。
会議を抜け出し、急いで戻ってきてくれた。
放心状態の私に「大丈夫か?」「しっかりするんだぞ」と励ましてくれた。
病院に着くと、すぐにパジャマに着替え、点滴を刺された。
注射が大の苦手で、小学校の頃に学校中を逃げ回ったことのある私が、である。
お腹のハリをやわらげる薬を24時間投与し続けるという。
人生で初めての入院。
この後、どうなるんだろうと思うと、不安で胸がいっぱいになり、枕をぬらした。
とりあえず2週間。
ところが・・・
2ヶ月も入院することに。
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入院生活は、今にして思えば快適だった。が、当時は苦痛で仕方なかった。
お腹が張らないようにと、シャワーは週2回。
それ以外の日は、蒸しタオルで体を拭く。
初夏には、少々キツイ。。。
洗面は椅子に座って。洗面とトイレ以外はベットに横になる。
病院食は・・・週に1度の選択メニューが楽しみだった。
5人部屋だったので、他の妊婦さんたちとおしゃべりしたり、本を読んだりして、一日が過ぎた。
入院から約1ヵ月半。なんと、誕生日を病院で迎えることに。
病院から一輪のカーネーションがプレゼントされた。
入院中、何が苦痛かといえば、点滴の針の差し替えと採血。
痛いのが大嫌いな私である。
かといって、大騒ぎするわけにもいかず・・・。
看護士さんにも上手い人と下手な人がいて・・・。
メンバーを見て、差し替えをするかしないかを判断できるようにまでなった。
入院中にお腹が張るということが分かってきた。
早く退院すべく、作戦を考えた。
朝の回診時にハリを調べるので、まず、回診時にお腹をやわらかくする方法。
看護士さんたちにも協力してもらい、作戦を練った。
その甲斐あって、ようやく退院にこぎつけた。
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鉄剤とハリ止め薬をもたされ、退院。
退院して1週間後に様子を見せに行く。
「お腹が張ったら、すぐに来てくださいね」とDr.
2週間に1度の検診と、ハリ止めと鉄剤と・・・。
退院したはいいものの、何せ『安静』を言い渡された身。
必要最低限の動きしかできず・・・。
でも、布団を干したり、台に上って洗濯物を干したりしていた。(汗)
折角だから、どこか旅行へ、と私。
でも、夫の強い反対にあい、夫の実家に帰るのが唯一の遠出となった。
(当時は、私の体を気遣ってくれ、何て優しい!!と思っていたのですが、子ども達のためでもあったんですよねぇ〜)
車の後部座席に座布団を敷き、安全運転で帰省。
夫の実家に行っても病人扱いで、ほとんど寝ていた。
(ぐうたらな嫁。。。はもう、このときから始まっていました・・・ハハハ)
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2週間に1度の検診は、とりあえずクリア。
その時の悩みは体重の増加。
食事を自分で作るのは、大変なことだったのだ。
暑〜い時期だし、どうしても・・・冷たいものの方に・・・。。。
検診の前日に、アイスを2個食べた。
すると、『糖』が高い数値出ててしまい・・・
検査をした。
炭酸を飲んでから30分ずつ位に血を採って糖の上がりをみるもの。
注射が大きらいなのもにもかかわらず、何度も何度も同じ日のうちに採血・・・。
痛かったぁ。。。
結局、何でもなかった。
一気に大きくなるお腹は、もう、見事!!としかいいようのないもの。
7か月の時点で、「臨月ですか?」と聞かれていた。
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子どもができたら・・・全て手づくりで〜
と、淡い思いを描いていた私。
テレビでよくある、お腹の赤ちゃんに話しかけながら
お裁縫と言うアレだ。
もともと家庭科は苦手の私
しかし、せめて
おくるみやベビー布団など、手作りをしたいと考えていた。
が、お腹にいるのは2人・・・
ということは、2人分必要。。。
何とも意志の弱い私は、結局市販のものを買ってしまった。
しかも、ベビー布団は買わずに、大人の布団に2人を寝かせることに
生まれてきてからかかるであろう紙おむつやミルク代にまわす事にした。
なるべくお金を掛けない!!を目指し、
スイングラックは友人から2台借り、ベビー服もお下がりをかき集めた。
結局、私が妊婦中に揃えたのは、退院時の洋服、肌着(短・長)3組ずつ、ガーゼ20枚、
赤ちゃんの洋服を入れる3段ボックスを2つ、哺乳瓶を入れるボックス等だけだった。
おんぶ紐は3way(横抱き・縦抱き・おんぶ)使えるものを夫の会社の人にリクエスト
ベビーカーも私の職場の人にリクエストし、お祝いとしていただいた。
ベビーカーを見たとき、あまりの大きさにショックを受け。。。
どこにしまうか相当悩んだ。
3階建のマンションの3階角部屋
とはいっても、エレベーターはなく、階段を上がると
すぐ我が家の玄関というところ・・・
ベビーカーをたたんでおいても、狭い玄関はますます狭くなり
これで生活できるのか少々不安になった
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お腹が張れば横になり休息という日々。
だが、夏は誘惑の多い季節だ。
TVをつければ、ビールのCM・・・皆おいしそうに飲んでいる。。。
買い物に出かければ、アイスやら果物やらが「買って!!」と並んでいるし(当たり前だけど)
暑い日は、辛いものが食べたくなるし。。。
とにかく、誘惑が多い!!
夫は、お腹の子ども達を気遣って食べ物に気をつけている私にはお構いなし。。。
おいしそうにビールは飲むし、辛いカレーなども食している。
(夫なりに気遣っていたらしいけれど、飲めない・食べられない私は嫉妬の塊!?と化しており。。。)
私達の住む市は、お祭りが多い。
とくに、役所周辺に住んでいたこともあり、
役所で行われるイベントには必ず顔を出した。(「祭り女」とあだ名があるほど、お祭り大好き!!)
8月下旬に開催されている「ふるさとまつり」にも大きなお腹を抱えて、2日間通った!?
最終日には、あの三味線の吉田兄弟が登場!!
彼らの演奏にお腹の二人も大興奮!!
すごい勢いでお腹を蹴られ。。。
お腹の二人もお祭り好きだと確信した(笑)
自分の心身を考慮の上、また古巣?である病院へと
「今度は、産むまで!!」と
固い決意をして、入院した。
まだ、残暑の厳しい、暑い暑い日であった。
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